『塔』に発表した歌など・・・? 平成17年 (随時補訂)
「塔」に発表した歌など・・・平成17年
● 私は「塔」を全く知らない。そこにいる人も選者も歌も評論も。なにしろ見本に貰った16年11月号が私が初めて見た「塔」なのだ。塔の方々に私が知られているという事もない。
アララギ分派後の各誌から参加を誘われてもすんなり入っていけないわだかまりは今もあるが、塔にはなんの迷いもなく加入できた。あたかも大都会の雑踏のなかに身を置いたような安堵感がある。
「塔」では一月一回10首まで送稿できる。はじめて送った歌が17年3月号に載った。
●「塔」05(17).3月号
赤き月碧き月今朝は白き月月かげ愉しみ新聞配る
配達の道に倒れむ終り方覚悟してゐるおそれてもゐる
午前二時勤めに出づるわが音を目醒めぬふりして妻の知るらし
高枝に熟れ柿三つ四つ残りゐて宇宙の底まで今朝晴れあがる
月光にわが影わが乗るバイクの影バイクの荷台の新聞の影
● 「塔」05(17)4月号
数知れぬ星の一つにわが如く新聞配る命もあらむ
橋渡り角を右折れ左折れ右に行く日は気の昂ぶる日
配達に行きて貰ひし大根のみずみずしきかなバイクの籠に
また星の流れゆきたる野の先に潜む軍のごとき家群
その夫に伴はれゐる姿見てわが乗る電車をひとつ遅らす
田の中に一本通る通学路群に遅れて少年ひとり
寒いから酒を呑まむよ午前九時ほしいままなり休刊日今日は
● 「塔」05(17)5月号
悪戯をしてゐるやうな眉の月ひらひらひらひら風花散らす
四時十分は高速道路の料金所今朝も定刻に新聞届けたり
天の川を渡り損ねた星また星次ぎから次ぎからこぼれ落ちてくる
すぐ其処に星流れたり村はづれに宇宙の少女らゐるかと思ふ
月かげは黄泉の光に似るといふ月夜はなべて人間やさし
● 「塔」05(17)6月号
雲の間に出たり隠れたりする月と戯れあひつつ新聞配る
飲み干しし缶ビールの缶握りしめ言葉こらへて聞きゐたる君
漆喰の傷みし土蔵に日の差して明るむ庭に君と佇む
前輪に小石を踏んでよろめきぬバイクに乗るのも老いては難し
蓬を摘んでゆっくりゆっくり野を帰る夕刊配りし春風のなか
● 「塔」05(17)7月号
軒並びの八軒駆足で配達すバイクを置きて新聞抱へて
事故に遭ひ運ばるることもあるならむ下着に常に気を遣ひおく
カーブミラーに写る野の先白みをりその角曲がれば配達終る
ほどほどに老いの身鍛へる運動よバイクの乗り降り日に三百回
脚太き馬の背に積む奉納の酒樽揺れて酒の匂ふも
その事はひとまずおいてと遮られはやわが提案退けられぬ
● 「塔」05(17)8月号
新しく割り当てられし配達区思はぬ方より夜の明け始む
視界の限り宇宙を見上げて青芝に大の字に寝るわれ宇宙人
新聞を配るわが為夜が明ける雨あがりゆき配達はづむ
新聞に紛れし桜の花びらはあへて除かず配達したり
野に出づる朝日見遣るは電線の燕一列その下の吾
人類の吐息に汚れて赤き月この夜は黄砂にまでも汚れて
● 「塔」05(17)9月号
ほの明けて街へくりだす鴉らに遅れてならず配達急がむ
暈をもつ月の光に包まれて配る新聞今朝湿りもつ
ダボダボと出すぎるインクにゆび汚し形見のペンをまだ使ひゐる
快晴の今朝は口笛に行進曲日が昇りくる配達はかどる
丘の上のお寺の庫裏まで配り来ぬ残るは十軒下り坂の道
他紙配達員に追越されたる処より今朝は慌てて誤配をしたり
歯石を除きつるつるする歯に舌先を遊ばせながら夕刊配る
● 「塔」05(17)10月号
雷が怖くて配達できるもんか川土手を行く次ぎの村まで
霧が雨にかはる前に終りたし配る新聞ますます湿る
寝溜めとはできるもんだよ飯食はず眠りに眠る休刊日の今日
眩暈して息切れもしてしゃがみこむ四階の踊り場新聞抱へて
青田の中に一本通る白き道月夜に新聞配りに行く道
人を待ち佇む吾を怪しみて監視カメラがまた此方向く
● 「塔」05(17)11月号
しばらく激しく降りて一気に雨あがる夕日にま向かひ新聞配る
二つ折り三つ折り縦折り縦三つ折り差入口にも慣れて迷はず
新聞破損の苦情を受けて詫びにゆく詫び方あれこれ考へつつ行く
夕立に濡れし新聞乾けども乾きしところが皺みて目立つ
この家も庭に地下水湧き出でて素麺あらふ西瓜を冷やす
● 「塔」05(17)12月号
「おはやう」とわれを追ひこしゆきたるは他紙配達員彼女は若し
吹き荒るる台風なれど単調な配達の日々の得難き変化
新聞屋を通してやれと土嚢積む人らがバイクを支へてくれぬ
汗に蒸れて合羽の中もびしょ濡れなり配達してゐて寒し冷たし
霧沈む村を朝刊配りゆくいちいちブレーキきしませながら
● 入会1年が過ぎた。(誌面では3月号で1年だが、) アララギ廃刊のあと会員百数十人の集団(アララギ派)のなかで見られていた私の歌が、数千人の中でどのように見られるか、
試してみたい気持ちがあった。ことに一部の人々に「事実の記述のような歌は短歌ではない」などと言われていた私の歌がどのように評価されるのか、これは大問題であった。
「なぁんだ! けっこう通用するじゃぁないか!」
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