平成9年―12年

      雷

ゆっくり休み骨折治せと見舞ひくれぬこの老いぼれがといふ眼して

階段踏む音にドアの閉め方に上司の心をはかりつつをり

率直な意見を言へと求められ率直に話してうとまれにけり

商品名を記せば手違ひなきものを番号に置換へ記憶誤る

音階を踏み上がるごとく来る雷も空車であれば楽しく帰る

複写して全員に配る秘密文書誰か外部に漏らせと如くに

背の高き若者達に埋没し気楽にわが聞く朝々の訓示

配達の手違ひをくどくど叱られぬゴルフの素振りをしてゐる人に

新時代の担ひ手と社内誌に載せられし女子ドライバーもはやく辞めたり

薄給を不満に辞めたる煉瓦屋よりいま我が稼ぎさらに少なし

無事故運転表彰状の二三枚残すのみに終る勤めか

配達に倦みたる午後は順路変へ輪中の土手をゆるゆる走る

却下の朱印押され戻り来し紙に一人が職を失ひたりき

      五百キロ

時速五百キロで電車走らす計画を文明といふか野蛮といふか

兄が弟が祖父が父がと耳に障る始める党名も独創ならずして

人口調節弁なりきとかの大戦を語りをり戦後生まれの学者悪魔め

解散詔書が読まれ万歳あがる時日本を離れる人を見送る

帰国する子を待つ妻は軽やかに朝の光に蒲団をたたく

汝が留守に死にたる猫の写真置き部屋ととのへて帰る子を待つ

結局は日本がよしと帰り来ぬVISAカードすられてすっかり日焼けして

見知らぬ人と二人のみ乗るエレベーターこの気詰まりは相手によらず

      流氷の海

流氷の海は夜明けて光うすし音さへ凍てゐる如きしづかさ

尾白鷲は流氷のうへに羽ひろげ射しくる朝日に向かひ飛び立つ

流氷を分けゆく黒き航跡はほどなく閉ぢて白き海原

睦みあひゆるゆる首を交す鶴近づく一羽を激しく威嚇す

ワカサギ釣るテントの群はぼんぼりの如く灯りて人影動く

一突きごとに作務衣の影は合掌す雪吹き抜ける鐘つき堂に

       〇 

雲曳きて夕日に迫る飛行機は荘厳にして受胎想はしむ

嗚咽かと聞こえて目覚めし風の音亡き母のわれを嘆きゐる声

雪原に日は照りかへり人憎む心穢なきわが居処なし

鼻頭の紅くなるほどおぼれたる酒つつしまむこれからは老い

鈴鹿嶺の夕焼け雲に思ひ出す血を吐く母に真向かひ看取りき

自殺未遂重ねるほどの孤独に耐へ育てくれたる母を敬ふ

灯明にじゃれつく猫を気遣ひて今年の盆も仏壇飾らず

      沖 縄

戦ひの血を吸ひしゆゑ赤き花咲き継ぐと聞く赤き花の下

門中墓に隠れし民を追ひ払ひ潜みて戦はぬ日本兵ありき

火炎放射の先はボロボロの日本兵敵に撮られし写真は口惜し

ガジュマルの根方に潜みて立寝すと記しし少女も遺影の一人

アダンの葉陰に風に髪を乾かせて憩ひもありき戦の初めは

夕深む那覇軍港のむかう岸ブーゲンビリアに投光騒ぐ

逆光に水面かがやく珊瑚礁牛牽く人も牛も影の絵

勝者の戦記は正義感に満つれども勝ちたる側は多く殺しき

撮影しながら敵撃つゆとりは既にしてやむにやまれぬ戦にあらず

      百万本の

ひまはりの如く光にま向ひて従ひゆかむか己を捨てて

「おぢさん」と笑顔をくづして走り来ぬ我が子の嫁に迎へたかりき

子の嫁に迎へし彼女と共に住む空想さへも楽しかりにき

輪中堤に摘みしコスモス百万本の薔薇に喩へて君に贈らむ

      ただごとならず

道に倒れ助けを求めし汝が姿想像するさへ動悸高まる

良性であれ良性であれ良性であれ骨の腫瘍とはただ事ならず

悪性腫瘍切断骨移植人工関節など聞えくる聞えくる聞きたくあらず

スローモーションの画面の如く遠のきぬ松葉杖つく細き汝が影

自公自自公自公保我に関はりなし倅よ脚を喪ふなかれ

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